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感謝の言葉、お礼の言葉にそっと崎戸町の風景を添えて、メッセージを贈ることができます。
大切な記念にどうぞご利用ください。 |
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感謝の言葉、お礼の言葉にそっと崎戸町の風景を添えて、メッセージを贈ることができます。
大切な記念にどうぞご利用ください。 |
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| 福岡県前原市 松下様 より |
崎戸を離れて42年の春を迎えようとしている、何もない崎戸だけど想いではポケットに入りきれないほどいっぱい〜〜詰まっている、18年間の崎戸の生活
昭和小・崎中・大崎高校と楽しい18年間であった、何もかも両親のお陰だと思っている
戦前 戦中 戦後 経済復興の為汗水流して地の底で働いた皆様のおかげです。
全盛期から閉山 友人・叔父さん・叔母さん達は全国に散らばって行った
又 集団就職で多くの友達もいつのまにか崎戸を離れて行った
不安と希望を持って都会へ胸を膨らませ崎戸を離れて行く
故郷を捨てたのじゃない、どうしょうも無い現実である、正直言って私も早くこの島を出たいと思っていた。
この年になって 故郷が在るって本当に素晴らしい事です、子供・孫達に受け継いで行きたいと思っております。
崎戸に残って崎戸の発展に寄与している皆様方に感謝してます。 |

| 西海市に望むこと 崎戸小学校6年 川口 広貴 さん |
| 崎戸という町が西海市という一つの市になります。崎戸町は、人口が少なく、外の町からの人の出入りは少ない静かな町です。しかし、大きな都市とはちがって、自然が豊かで、すぐそこに海があり、都会では出来ない、いろんな事が出来ます。いそ遊び、魚釣り、山ではハイキング。いろんな自然にふれられる体験が出来ます。家の中では、窓を開ければきれいな空気が入って、朝の目覚めがいいというよさがあります。毎日、気持ちよく過ごせます。だから西海市になっても、自然があってほしいです。それから、自然を生かした施設があってほしいです。大きな西海市という一つの町になっても自然があるきれいな町がいいです。また昔の崎戸を感じさせる炭鉱アパートなどを残してほしいです。福浦橋がこわされて、炭鉱時代を感じさせる物が一つなくなりました。だから遺産を残してほしいです。そして、それぞれの町の個性を生かした町づくりをしてほしいです。 |
| 私が生まれ育った平島 平島小学校6年 東 愛美 さん |
私が生まれ育った平島は素敵なところです。
まず、自然が豊かということです。海には新鮮な魚がいます。私のお父さんも漁をしていて、新鮮な魚をほぼ毎日食べています。海にしずむ夕日は、とてもきれいです。
平島の人は、出会ったらだれとでも元気よくあいさつをします。私からあいさつするときもあるけど、地域の人や先生方から言葉をかけられるときもあります。
そして、みんなが仲良しで協力するということです。私たちの運動会や文化祭は地域の人と協力して作りあげています。
平島は4月から、西海市になります。
私が望むことは、大きなけがや重い病気にかかったときに備えて、もっと大きい病院があったらいいなーと思います。新しい市になっても平島のよさを残し、平島がもっと便利になってほしいです。 |
| 大好きな場所 江島中学校1年 牧山 健 さん |
| 江島は、ぼくにとってふるさとであり、大好きな場所です。島の方々は、会うとあいさつをかわし、立ち止まって話をします。ぼくもみんなも、顔を知らない人もいなければ、名前を知らない人もいません。だからみんなとても仲が良いです。3月に、中学3年生の二人が卒業すると、小中学生はぼくと生真君の二人だけになり、行事をするのはますます困難になります。しかし、ぼくたちのそばには、島の方々がいます。毎年、子供の人数は減ってきていますが、その分、島の方々の協力が増えてきました。このように、江島ではみんな一緒に助け合って暮らしているのです。だからぼくは、この島が大好きです。西海市になっても、市全体が助け合って暮らしていけるようにしたいです。そのために、あいさつ・声かけを心がけ、西海市がぼくにとって大好きな市になるよう頑張っていきたいです。 |
| 崎戸町への思い 崎戸中学校3年 北 ちあき さん |
もうすぐ「崎戸町」が「西海市」になります。なかなか実感がわきませんが、「崎戸町」が今後どう変わるのか、今は不安と寂しさと期待とが入り交じった複雑な気持ちです。
私は崎戸が大好きです。美しい海に囲まれ豊かな自然が残る、おだやかで良い雰囲気の町だと思います。ここに住む人々の結びつきもとても強いです。私たちは中学校の総合的な学習の時間に様々な活動を行いましたが、その中で特に心に残ったことはお年寄りとの交流です。一緒にグランドゴルフをしたり、話をしたりしました。お年寄りの方々は皆優しく、人生の話や昔の崎戸の話など聞かせていただきました。私は、お年寄りの方々がいるからこそ、崎戸町には穏やかで温かい雰囲気があるのではないかと思いました。
合併をしても、この町のいい雰囲気は、いつまでもこのままであって欲しいと思います。 |
| 崎戸に生きて 大崎高校2年 田代 一真 さん |
崎戸に住んでもう10年が経った。あの時初めて見た紅い夕日が、限りなく蒼い海と空が今も変わらずここにある。そして、澄んだ夜空の星たちが輝き続けている。
変わっていないのは自然だけではない。人の温かさもまた変わることがない。登校中に交わす「おはようございます。いってらっしゃい」、帰り道での「こんばんは。おかえりなさい」と、まるで家族のような会話がある。挨拶に続く「今日もいい天気ね」とか「寒かねぇ」といったプラスアルファがあるのだ。この何気ない一言はお互いの親しみを増すのにとても大切なことだと思う。しかも、そこには相手を思いやる心のゆとりがあるのだと思う。お互いが思い合えるから、もし何かが起きても“他人事”では済まない環境があるのだ。崎戸にはそんな人と人とが温かく包みこみ合う環境が整っているから、私は小さい頃から安心してのびのびと育ってこられたのだと思う。
今の日本の都会化された地域からはこのような“地域のつながり”や“人との関わり”が失われているのではないかと思う。経済の発展だけに囚われ、それ以上に大切なものを見失っている。
崎戸はこの春に合併して新しく生まれ変わる。便利になる点・不便になる点が出てくると思うが、何があっても今までのような町であってほしいと思う。「自然」と「人情」だけは失われてはいけない。それは私たち若者が伝え残していかなければならない課題だと思っている。この環境を守り、この町に生きる高齢者の人達や、これから育つ子どもたちが安心して住みよい町を自分たちの手で創りあげていきたいと思っている。
崎戸は私に「自然のすばらしさ」と「人の温かさ」を与えてくれた。私はこの町で育ったことを誇りに思っている。
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| 島人として… 江島東 村岡 恵 さん |
全国で市町村合併が進む、いよいよ崎戸町も4月1日から西海市として生まれ変わろうとしています。思えば、私が物心ついた頃は、江島・平島が崎戸に編入されて10年を過ぎた頃で、島には子どもからお年寄りまでたくさんの人が居り、空き地や浜辺や学校の運動場は勿論、道路や田畑までもが子どもたちの遊び場としてとても賑やかだった頃が懐かしく思い出されます。その後30年余り、島も高度成長の波に預かり、道路は舗装され、港湾は姿を変え、電気・電話・上下水道は整備され、島の生活環境は目を見張るほど変化発展を遂げてきましたが、一方島の宝である子どもたちは減り続け、新年度から小学生・中学生各1名ずつとなり、この先小学校入学予定者はおらず、島から子どもの姿が見られなくなるのも時間の問題となってきました。また、高齢者の占める割合は、島民の約7割にも達しております。
私は、縁あって結婚を機に故郷江島に帰り現在に至っておりますが、人が減り続け、空き家が増えている事に一抹の寂しさを感じています。西海市にとって離島(江島・平島)は、大切な宝物であり得る土壌を持っていると思います。昔のように人がいっぱいの島に少しでも近づけていけたらと思っています。紺碧の空、青い海、輝く星、豊かな自然の声を聞きながら情ある人々に育まれて今日まで生かされてきました。どうかこれからも島人であることに誇りを持てますよう、去る崎戸町に感謝し、来る西海市に希望と夢を持ち離島を生かしてくれることを願っております。
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| 故郷想い 栗坂町 太田 勇 さん |
故郷の港の入口に大きな2本の煙突がある。黒いダイヤ、石炭採掘で隆盛を極めた、故郷の歴史を物語る貴重な建造物である。
何時完成したのか詳細は知らずして、幼い頃より目にはしていたのだが、ほとんどと云って良い程記憶になく、20年程前に帰郷してからは、1年365日見ない日はないのである。
対岸、駐在所付近より眺めていると、左側の背の高いグレー色の煙突が男性に思われ、その右脇に寄り添って経つ赤レンガ作りの方が、女性に何故か見えてしまうのである。後方に回り、井上光晴氏が居る資料館展望台より見ると、煙突の目線が、西の海方向を見つめている。当時、港口は、数多くの船が出入港を繰り返していたに違いない。入港する船には、穏やかにほほえみかけ「良くぞ崎戸に来てくれた。」と、石炭を積んで出港する船には、安全航海を祈ったのだろう。
漁業も栄えた当時は、漁に向かう小さな櫓こぎの船にも、大漁と無事帰港を祈った。
老婦人に聞いた話がある。煙突建設中に一つの恋が生まれた。当時、故郷で大きな話題となった。結末は聞いていない。
二人の生き映し、愛の証として、2本の煙突を建設したのだろうか。それであれば、当時としてみればとてもロマンチックな話である。操業当時は、勢い良く黒煙を舞い上げ、威風堂々と故郷の人々を圧倒していたのだろう。
現在は時折不気味ささえ感じる日がある。炭坑閉山よりたくさんの時が流れて、故郷の環境も大きく変化した。
2本の煙突の目線の先に、夕陽が沈む。陽を浴びて紅く染まり、故郷の歴史を見守り続けた2本の煙突は、かつての炭坑の街、故郷崎戸の象徴である。 |
| 「30年の思いと、これから…」 平島泊 中邑 照江 さん |
「西彼杵郡崎戸町平島」と現住所を書くようになってから30年も経ってしまったと文章を考えながら改めて実感しています。
人によく聞かれました「平島ってどこにあるの?」私は「佐世保からね…」「五島がすぐそばで…」と説明し、西彼杵という字を電話で説明するにも馴れて来たのに合併後のこれからはどのような住所になるのでしょう。崎戸町も平島もそのままではないのかな?まるで今住んでいる島がなくなってしまうかの様な妙に淋しい気持ちになって来るのが不思議です。これも平島が私の古里になっているという事なのでしょう。
西海市崎戸町平島はここにずっとあるのに。20数年前町報さきとに年女という事で紹介された事がありました。それが「町報さきと」にお世話になった1回目。2回目が今回最終号という事になってしまいました。
町報でも町政だよりにしても内容が随分豊かになりカラフルになった様に思われます。大切な情報源である訳ですから名前が変わっても町報、町政だよりが届く事はなくならないと思いますし、内容ももっと充実したものを期待している訳です。そうでなければ困ります。けれど、不安な事もあります。PTA、婦人会の会議でたびたび崎戸本町に参りましたが同じ崎戸町の多くの方々が江島、平島の位置、日帰り会議の大変さを分かっていない事に何度驚かされた事でしょう。日帰りの会議など無理になるのか、結果報告だけなんて事になりはしないか。合併され西海市になった事で益々島の存在が薄くならないかという事です。島を知らない人が広範囲になるのですから忘れられない様にぶらさがらず、受け身にならず、こちらから投げかけ発信していく島にならなくてはならないと思っています。ならどうすると言われると具体的には言えませんが、発信する方も受信する方も通り一ぺんにならない様真剣な交流を各団体がしていかなければ、意味のない合併になってしまうと思っています。言われるがままの合併で後悔先に立たずなどという事にだけはどうぞなりません様に。 |
| ふるさと「崎戸」を思う 本町 越戸 博志 さん |
私は崎戸の風景が大好きです。特に港の見える公園から見る五島灘に沈む夕陽は黄色から橙、赤、紫そして青へ、そして黒へと移りゆく光景は、絶景としか言いようがない素晴らしさです。本当に心癒される美しい景色だと思っています。
50年余の半世紀にわたる石炭産業が町から姿を消してから、36年もの年月を経て人口も全盛期の10分の1の数まで減少してしまいました。この町では若者の職も少なく町を離れる人達も決して少なくないと思います。その様な状況の中、いよいよ5町合併という現実がそこまで迫っておりますが、これは仕方の無い事だなと思います。
崎戸は、古くは捕鯨の島から始まり、炭鉱の島へそして塩の町へ、さらに近年では「スケッチの町」づくりへとその姿を変えようとしています。
幸い崎戸は、周りをきれいな海に囲まれた自然環境の中で生活している事や、他に今でも数多く残る炭鉱遺構や、広大無辺の芝生公園であるさんさん元気らんどなどがあって、絵画や写真となる景色が至る所に豊富にあるのです。そしてペーロン、花火大会や獅子舞などの伝統行事も忘れてはならない風物が沢山あって、「スケッチの町」としてはピッタリの条件が揃っていると思います。
その崎戸の景色が大好きで、私も写真に収めてきたつもりですが、撮り忘れた所も多々ありまして、今更ながら悔しい思いをしております。合併によってこの素晴らしい風景や、自然環境が壊れない様にする為には、崎戸のよい所を守り、活気のある町に創りあげていくことが必要ではないかと思います。
最後に、崎戸よ「ありがとう」そして「人々の心にいつまでも」と言いたい。 |
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